会いたい人がいる
みなさん、健やかなる日々をお過ごしでしょうか? 私は、新生活がバダバタしているうちに部活が始まりあ〜だこ〜だしていると現場がなくなり……と、あまりにも悪いサイクルの中にいるようなので、久しぶりにはてブを書きます。サクッと書くつもりなのでもしよかったらお暇な時間にぜひ。
最近読んだ本の中で気になる一説に出会いました。その本とは「ふたご」。著者はバンドSEKAI NO OWARIのピアニストとしても活動している藤崎彩織さん。早速その一説とはこちら。
「女の子が、ステージに乗っている人間に恋をしている時、ステージの上からはそれが丸見えなのだ。」
物語の中に入り込めるからという理由で本を読むことが好きな私が珍しく本を読みながら「え、そうなの?!」と呟いてしまいました。こんなに言葉に注目したのは初めてかもしれない。
ステージに乗っている人間(ここでは自担を指す)に恋をしている時、キラキラ煌めく姿に目を輝かせている時、いつまでも幸せであってと願っている時、彼らにはそれが丸見えだったんだ。そっか、そうだよね〜バレてるよね〜……。と照れ隠しで言ってみようかと思ったけれど、何度もこの言葉を頭の中で復唱しじっくり咀嚼してみると、こんなに嬉しいことはなくないか?と思い始めました。
前述の通り、この物語の著者はSEKAI NO OWARIのSaoriさん。“ステージに乗る側”の人。この言葉をもし他の人が書いていたとしたらこんなに胸に刺さることはなかったかもしれません。
彼らアイドル側のみなさんが舞台やコンサートを「ファンの皆さんと直接やり取りできる場所」と言い表す理由がようやく分かったような気がします。
これはあくまでも物語の中の一節だということを踏まえて読み進め、最後の後書きと解説に辿り着きました。ここでSEKAI NO OWARIさん無知の私はとても驚かされました。この物語がSEKAI NO OWARI結成までのストーリーに酷似していると書かれてありました。だとするならば、この言葉はいきなりリアルさを持ちます。物語のあらすじを伝えていない状態で説明するのは非常に難しいのだけれど、作家 藤崎彩織さんではなく、ステージに立つSEKAI NO OWARIのSaoriさんはほんとうにこう思っているのではないかと思わずにはいられませんでした。
配信ライブが主流となっている今、私もそしてきっとこのはてブを読んでくださっている方も、画面越しにであるけれどステージに立つ彼らに変わらず恋をしています。でも、画面越しだとそれが彼らには見えているのかな。
ステージ上での一挙一動に好きを感じていること、見れば見るほど会いたいと感じて泣いていること、気づいてほしい。その気づいた好きを自信に繋げてほしい。そんなファンのエゴが叶わない世界です。
できるだけ明るい印象に書き上げたかったんだけど、結論現場に行きたくなって終わってしまいました。
今日はほんとうなら大阪に会いに行くはずの日でした。そして昨日、また一つ会えるはずだった予定がなくなりました。くやしいともかなしいとも言えない気持ちで気を抜くとまだ涙が出てきてしまいそうだけど、きっとそれは彼らのほうも同じで。望んでないカタチではあるけれど、また同じ感情を共有しているのかなあ、と。思ったり思わずにはいられなかったり。
明日は嫌でも月曜日だし、意味あるのかと思わざるを得ない課題は出されるし、いや〜なヤツにいや〜なことをされて泣きながら帰ってくることもある。
もう頑張りたくないと思ってしまうような世界だけど、だいすきな人も生きてる世界だから、きっと明日も早起きするんだろうなあ。
という長い長いぼやきでした……。